歴史というのは本当に面白い。
最大のミステリー。
今日は世界史からクフ王について書いてみようと思います。
古代エジプトのファラオです。




   ☆クフ王

     出身地:エジプト
     即位:紀元前2553年頃か?
     退位:紀元前2530年頃か?
     享年:不明
     肩書:ファラオ(古代エジプト王)


古代エジプトは、北アフリカのナイル川流域で、紀元前3000年頃に第1王朝が成立。紀元前332年に第31王朝が滅びるまで続いた。
クフ王は、第4王朝第2代のファラオ。

第4王朝の創始者であるスネフェル王の子として生まれる。クフ王は、自分の権力を示すため、生前から巨大なピラミッドをギザ(エジプトの首都カイロの近くの都市)に築かせた。その高さは約147㍍もあり、世界最大級のピラミッドとされる。

古代ギリシャの歴史学者ヘロドトスが書いた「歴史」には「クフ王はピラミッドの建築のために奴隷を大いに苦しめた。このため、国が衰えてしまった」と記されており、クフ王が暴君であったことが語られている。
クフ王のピラミッドの隣には、息子のカフラー王と、孫のメンカウラー王のピラミッドが並んで建てられており、ギザの3大ピラミッドとして有名。
彼の治世の記録はあまり多く残されてはいない。

クフの姿を確認することができる完全な状態で残った肖像は、1903年にアビュドスにある後世の神殿遺跡から発見された3インチの大きさの象牙製の像が唯一の物とされる。

ギザにある彼のネクロポリスから発見された碑文と後世作られた文学作品から得られる情報がクフについて知られている全てである。

クフに言及する文書の大半は紀元前1千年紀の後半にエジプト人とギリシア人が書いたものである。古代の歴史家マネト、ディオドロス、ヘロドトスは、彼の性格を非常に否定的に伝えている。これらの記録によって、クフの人格について不明瞭で否定的なイメージが残されている。


クフという名前は、大地の神クヌムから取っているとされる。当時のクヌム神の人気と宗教的重要性の増大を指し示すことに繋がっていると思われる。
エジプトの王達が王名を特定の神に関連づけることで、自身の神聖な出自と地位を強調する事を望んでいたでことを示す物であろう。クフは自身を創造と成長を司る大地の神クヌムから全権を与えられた者と見なしていたかもしれない。

父は有スネフェルと思われる。有名な王であり三つのピラミッドを建造した。
母はヘテプヘレス1世と思われる。スネフェルの妻であり、ギザで発見された彼女の貴重な副葬品がよく知られている。
妻は二人。ひとりは、メリタテス1世。最初の妻。もうひとりは、ヘヌトセン第二の妻。

クフがどの程度の期間エジプトを統治したのかは未だに明白ではない。なぜならば、後世の歴史的文書は相互に矛盾し、同時代の資料は乏しいからである。



クフ王のピラミッドはあまりにも有名ですよね。
古代エジプト・・・そう聞くだけで、浪漫を感じます。ギリシャもだけど、エジプトにも行ってみたいものです。
クフ王は後世ではずいぶんと暴君のように伝えられています。彼の人柄や政治が分からないので、想像するしかないわけですが。学者たちが書き残した本にはほとんどが良い印象では書かれていないという共通項があるようです。
年に一度くらいにテレビで古代エジプトに関して放送しますよね。今年も早々にありました。ビートたけしの番組。
あれ、見るの大好きなんです^^
まだまだ解明はされないけれど、今の科学技術は発展しているからどんどん新発見が出てきて毎度驚かされるばかりです。
クフ王の謎もまだまだだけど、いつかもう少し詳しいことが分かるようになったら面白い。本当に暴君と恐れられた王だったのか・・はたまた?
歴史はミステリー(^^♪


ではまた次回。





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