こんにちは。


部屋のクーラー故障の為、いつも記事は書き溜めているものを予約投稿しております。

皆様のブログへの訪問は携帯から通っていますが、コメントの書き込みや頂いたコメントへのお返事はパソコンから行っております。

部屋からではとてもではないですが、湯だった蒸し風呂のような温度の中書き込むことが流石に困難なため、ネットカフェを利用して行っております。

そのため、お返事が大変遅くなっております。

いつもコメント頂いている皆様に大変申し訳ありませんが今しばらくご容赦お願いしたく存じます。

勝手ながら申し訳ありません。。


もちろん、遅くはなりますが必ずお返事書かせて頂いております。

宜しくお願い致します。


          陳謝






学生時代に読んだ本。
紹介&感想です。






   山椒魚


     作者:井伏鱒二


〇あらすじ

谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られなくなっていることに気がつく。

二年の間岩屋で過ごしているうちに体が大きくなり、頭が出入り口に「コロップの栓」のようにつかえるようになってしまったのである。

ろくに動き回ることもできない狭い岩屋のなかで山椒魚は虚勢を張るが、外に出て行くための方途は何もない。

彼は出入り口から外の谷川を眺め、目高の群れが先頭の動きにあわせてよろめいているのを見て嘲笑し、渦に巻き込まれて沈んでいく白い花弁をみて「目がくらみそうだ」とつぶやく。

ある夜、岩屋のなかに小海老がまぎれこみ、山椒魚の横っ腹にしがみつく。

山椒魚を岩石と勘違いして卵をうみつけているらしい。

しきりに物思いにふけっているらしい小蝦の様子をみて山椒魚は、屈託したり物思いに耽ったりするやつは莫迦だと言う。

しかし山椒魚がふたたび出入り口に突進し、栓のようにはまり込んだりといった騒ぎをはじめると、はじめは狼狽していた小蝦も失笑する。

その後、山椒魚は外へ出ることを再度試みるが徒労に終わり、涙を流して神にむかって窮状を訴える。彼は岩屋の外で自由に動き回っている水すましや蛙の姿を感動の目で眺めるが、そうしたものからはむしろ目をそむけたほうがよいと考え目蓋を閉じる。

彼は自分が唯一自由にできる目蓋のなかの暗闇に没頭し、寒いほど独りぽっちだ、と言ってすすり泣く。

悲嘆にくれるあまり「悪党」となった山椒魚は、ある日、岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込め、外に出られないようにした。

蛙は安全な窪みのなかに逃げ込んで虚勢を張り、二匹の生物は激しい口論を始める。

二匹のどちらも外に出られず、互いに反目しあったまま1年が過ぎ、2年が過ぎた。

蛙は岩屋内の杉苔が花粉を散らす光景を見て思わず深い嘆息を漏らし、それを聞きとめた山椒魚はもう降りてきてもいいと呼びかける。

しかし蛙は空腹で動けず、もう死ぬばかりになっていた。

お前は今何を考えているようなのだろうか、と聞く山椒魚に対して蛙は、今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ、と答える。







太宰治がこの作品を目にした時、大変興奮したという。
「大した天才だ!」と評価したらしい。以来、彼は井伏を師のように仰いでいく。
私も作品を読んで、ひじょうに面白いと感じた。

まるで児童文学のようで、ブラックユーモアの中にちゃんと考えさせられる多くの言葉が隠れている。
文章も読みやすく、とても面白い作品だ。

山椒魚の大きくなってしまった部位が「頭」であることから、彼は理屈的な思考の持ち主であることが分かる。
実際に岩屋の外の世界を羨んだり、理屈をこねていて、批判をしたり、自分のことを棚に上げて他者を見下したりしている。
とても傲慢で、思慮も浅い魚だ。

思えば人間でも同じような人種がいる。そんな風に読んでいると、寓話的で面白い。
さらに山椒魚は根性がどんどん悪くなっていき、最後には蛙を幽閉してしまう。
理由は自分と同じ境遇にできて痛快だからという、いかにも身勝手極まりないもの。
岩屋での長い年月が彼の底意地の悪さを生ませてしまったのかが分かる。

それと引き換え、閉じ込められてしまった蛙は決して山椒魚に対して怒ったりしない。
感情的になることもなく、冷静で最後まで山椒魚に言葉を荒げることはない。
きっと蛙は、最初から山椒魚のことを憐れんでいたのだろう。
それを知らずに山椒魚はいい気味だと腹の底で薄ら笑っていたことになる。

ある意味、達観している蛙だけど結局は体力の限界に陥り、体が動かなくなってしまう。
「もう駄目なようだ」
この言葉が切ない。

この言葉を聞いて山椒魚はどう思ったのだろう。
やはり馬鹿なやつだ。そう思っただろうか。

いや、きっと今までよりも悲しい気持ちになったに違いない。
悪党となってしまった自分の愚かさ、孤独の恐ろしさ故に意地悪をしてしまった切なさ。

羨んだり、怖がったり、悲しんだり。
それはまるで人間のよう。
自分の行為を棚に上げて、他者を軽んじ、さげすさみ、卑下する。
だけどもその一方で、憧れや願いや悲しさを感じる。
複雑だがそれが生きているという感情でもあるのだろう。
ある意味、正直者ともいえるのかもしれない。

蛙はどこまでも達観し、悟りを拓いているかの如き存在で、まるで憐れで孤独な山椒魚を見守っているかのようにも映る。

ユーモアの中に真実の言葉が隠れている、そんな作品だ。







スポンサーサイト



テーマ : オススメの本の紹介    ジャンル : 本・雑誌
 2020_09_12



こんにちは。

苺と桃が大好きな冬灯です^^


部屋のクーラー故障の為、いつも記事は書き溜めているものを予約投稿しております。

皆様のブログへの訪問は携帯から通っていますが、コメントの書き込みや頂いたコメントへのお返事はパソコンから行っております。

部屋からではとてもではないですが、湯だった蒸し風呂のような温度の中書き込むことが流石に困難なため、ネットカフェを利用して行っております。

そのため、お返事が大変遅くなっております。

いつもコメント頂いている皆様に大変申し訳ありませんが今しばらくご容赦お願いしたく存じます。

勝手ながら申し訳ありません。。


もちろん、遅くはなりますが必ずお返事書かせて頂いております。

宜しくお願い致します。


          陳謝






今日は昔読んだ小説の感想を。






   あすなろ物語


      作者:井上靖


〇あらすじ
天城山麓の小さな村で、祖母とふたり土蔵で暮らしていた鮎太少年が、多感な青年時代を経て新聞記者となり、終戦を迎えるまで。
ひとりの人間の少年期から壮年期までの成長の過程における感受性の劇を、6つの物語に謳いあげた青春小説。
あすは檜になろうと念願しながら、永遠に檜になれないという悲しい説話を背負った「あすなろ」の木に託して、著者自身の詩と真実を描く。





最初の話に登場する冴子が印象に残った。
己に克って勉強をしなければならないと言った加島と微かに親しみを覚えていた冴子の死は、いかに大きな影響を鮎太に与えただろう。
特に冴子があすなろについて言及するところは印象深い。
結局その言葉がずっと鮎太に居座り続けている。
その点で言えば、信子もそうだ。彼女もあすなろについて言及した。
あすなろの中で檜になれるのはほんの一握り。
あなたはあすなろでもない。この言葉は私にとっても大きなものだった。
私は檜である前にあすなろなのだろうか。

鮎太が少年期にもっていた劣等感。そして人間らしいいじらしさ。
切なく、美しい文体と雰囲気の中、鮎太にとって関わり深い女性陣を通して、人間の切実さというものが伝わってくる。

あすなろにさえなれないもどかしい気持ち、そして当時の終戦後の無力感。
でも決してネガティブな意味合いだけでなく、今はあすなろでもいつかは檜になってやる!といった向上思想も垣間見える。
人間は諦観だけでは生きてなどいけない。そこには希望や夢や愛がなければならない。
それを持ち続けてこその人生なのだ。
そんな切実さを感じた一冊だった。






テーマ : この本読みました    ジャンル : 本・雑誌
 2020_08_29



今日は日本文学作品の読書感想です。
学生の頃に読んだ作品なので、そうとう昔だけど。

昔から読んだ本の感想は書き留めています。






   流れる


    作者:幸田文


〇あらすじ
梨花は寮母、掃除婦、犬屋の女中まで経験してきた40過ぎの未亡人だが、教養もあり、気性もしっかりしている。
没落しかかった芸者置屋に女中として住み込んだ彼女は、花柳界の風習や芸者たちの生態を台所の裏側から細かく観察し、そこに起こる事件に驚きの目を見張る・・・。





自身の体験を踏まえて、華やかな花柳界と零落する芸者置屋の内実を描ききった作品。
舞台や映画化もされている彼女の代表作でもある。
自身の体験を軸に、幼いころから親しんだ隅田川沿いの風景と町並み、人々の暮らしぶりを背景にして物語が進んでいく。

タイトルの「流れる」について作者は、「しあはせになつてあちらの方へ遠く離れて行くのを見送つてゐること」のように思われる、と書いている。
みんな誰かをあてにして生きていて、それを歯がゆく主人公は思っているけど、主人公も含めて結局流れてしか生きていけない、そんな無常観も含ませているのだろう。
人生の流れ、運命の流れ、人の心の流れ。
そんな大きな意味での題名であるように感じる。

没落しかかった芸者置屋という舞台も魅力がある設定だ。
もし私もこんなところで働いていたら絶対にネタにしてしまうに違いない(笑)
下世話な内容だが、そこには上流へ流れる者、下流へ流れる者、それぞれのストーリーがある。

最後の著者の言葉、「水は流れるし、橋は通じるし、『流れる』とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。」という文章に、この物語の全てが凝縮されているように感じた。ふとためらう繊細な心を細やかに描写している。 

出来事ひとつひとつの背景にある女性特有の繊細な心理描写が丁寧に細かく散りばめられている。
儚く浮き沈みのある世界を愛情ある語り口で描いていて、良質の小説だ。
作者の鋭い観察眼にも恐れ入る。
置屋ならではの事件や出来事が赤裸々に語られ、文章も綺麗だし、さすが露伴の娘。やっぱり同じ文学者としての血筋なのだなあとあらためて実感。

もう古典?といっていい作品なのだろうか。
時間があればまた読み返してみよう。
私の中では樋口一葉か幸田文か。
女流作家の古典といえばこの二人がだんとつだ。







テーマ : 読んだ本    ジャンル : 本・雑誌
 2020_08_08



今日は読書感想です。

昔、確か高校生くらいかな。
その頃読んだ小説。






   ☆沈黙

      作者:遠藤周作

◎あらすじ

島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の司祭で高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。

フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。

キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。

幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。

逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。

長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。

奉行所の門前ではキチジローが何度も何度も、ロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。

神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。

その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。

その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。

自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。

夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。

すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。

そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。

こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。

「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」

踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。 






17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。

江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。


宗教とは何なのか。

信仰とは何なのか。

その根本的な心の底を描いた素晴らしい作品。


頑な自分の持つ信仰心に純真に帰依している姿は確かに素晴らしいけど、逆にその深い思いが拒絶という行いにより、苦しみを生む。

聖職者としては辛く悲しい行為だろう。

だけど、私も迷わず踏み絵を踏むだろう。

形だけに拘らず、心の中の信仰は決して無くならないのだから。

今、目の前の苦しみを救ってあげれなくて、何が信仰なのか。

自分の言葉ひとつで、沢山の人たちの苦しみを救えるのなら踏み絵を踏むことになんの恥ずかしさがあろうか。


もしこの経験がなければロドリゴは本当の意味での悟りに到達できなかったに違いない。

文中でも語られているように、神は沈黙しているわけではない。

試練の中でロドリゴが真実に目覚めることを望んでいるのだ。

それに気づけた彼は、実は彼自身が一番救われたのかもしれない。


形ばかりに囚われない心。

本当の信仰心。

それは踏み絵を踏んだことぐらいでは消えるような単純なものではない。


そんなことを考えさせられた小説だった。







テーマ : 考えさせられる本    ジャンル : 本・雑誌
 2020_07_27



ミステリー以外の小説の感想。
昔読んだ本です。
有名な羅生門。






   ☆羅生門

     作者:芥川龍之介


◎あらすじ

背景は平安時代飢饉辻風竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。

ある暮れ方、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方に暮れていた。

下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。

そんな折、羅生門の2階に人の気配を感じた彼は、興味を覚えて上へ昇ってみた。

楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。

老婆松明を灯しながら、若い女の遺体からを引き抜いているのである。

老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人はを抜き、老婆に襲いかかった。

老婆は、抜いた髪でを作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。

さらに彼女はこう続ける。「抜いた髪で鬘を作ることは、悪いことだろう。だが、それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。ここにいる死人も、生前は同じようなことをしていたのだ。

今自分が髪を抜いたこの女も、生前に干物干魚だと偽って売り歩いていた。

それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろう。」と。

髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて勇気が生まれる。そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。

下人の行方は、誰も知らない。 






最初に読んだのは中学生の時の国語の時間。

衝撃的な内容に心を鷲掴みされたのを今でも覚えている。


今昔物語集』の本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたものである。

生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出している。


悪とはなんなのだろう。

生きている人間から髪や服を奪うのは完全に犯罪行為だけど、死んでいる人間から奪って生きるため仕方なく行うこと、これも完全に悪と言い切れるのか。

細かいことをいえば犯罪名が付いているのだろうけど、ここでいう悪とは生きているか、死んでいるかの違いだ。

老婆の言葉で勇気を得てしまった下人。しかも生きている老婆から服をはぎ取ってしまう。

これは完全に悪の所業であろうが、彼の行為は、勇気というよりも腹をくくったといった方が納得できるかもしれない。


生きていくための所業。最初は正義感で老婆を叱責するも、自身のエゴイズムを後押しされてしまい、結局は悪に手を染めてしまう。

私だったら?


職もなく、今日食べるものもなく、住む場所さえもしない状況下であったなら?

やはりこのふたりのように盗んだかもしれない。

人間というのは自分勝手な生き物だ。

なんにでも理由をつけて正当化しようとする。


「生きていくため」

こんな言葉を用意されたら許してしまう罪もある。

まさしく老婆のように罪であっても同情心でもって許されてしまうだろう。

そんな老婆に触発されて下人は「なら自分も」と思ってしまった上で悪に走ってしまう。


生きていくための「悪」

ひじょうに考えさせられる内容の作品だ。









テーマ : 人生を学ぶ本    ジャンル : 本・雑誌
 2020_07_23




08  « 2020_09 »  10

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

プロフィール

toka115507270224

Author:toka115507270224
ようこそ!冬灯(とうか)のブログへ。
徒然に徒然なるがままに書き綴っています。主に自作の詩、サザン、役所広司さんやドニー・イェンなどなど。他にも興味があることを気の向くままに語っております。

カテゴリ

アクセスカウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR




.