ようこそ!冬灯(とうか)のブログへ。徒然に徒然なるがままに書き綴っています。主に自作の詩、サザン、役所広司さんやドニー・イェンなどなど。他にも興味があることを気の向くままに語っております。

こんにちは。


部屋のクーラー故障の為、いつも記事は書き溜めているものを予約投稿しております。

皆様のブログへの訪問は携帯から通っていますが、コメントの書き込みや頂いたコメントへのお返事はパソコンから行っております。

部屋からではとてもではないですが、湯だった蒸し風呂のような温度の中書き込むことが流石に困難なため、ネットカフェを利用して行っております。

そのため、お返事が大変遅くなっております。

いつもコメント頂いている皆様に大変申し訳ありませんが今しばらくご容赦お願いしたく存じます。

勝手ながら申し訳ありません。。


もちろん、遅くはなりますが必ずお返事書かせて頂いております。

宜しくお願い致します。


          陳謝






今日は禅の言葉から、素敵なものをお伝えできたらなあと思います。





   風幡 (ふうばん)

こんな話があります。

お寺の境内に掲げられた旗(幡)が風になびく様子を見て、ふたりの僧が言い合いをしている。
ひとりは「旗が動いている」
もうひとりは「いや、風が動いている」と譲らない。
そこに現れた第三の男は、「旗でも風でもない、あなた方の心が動いている」といった。

やれ風だ、いや旗だと言い争いをするのは、心が揺れ動いているから。
風が動くと思うのも心だし、旗が動くと思うのも心の現れ。

頑なになってはいけない。
ものには色々な見方があるという意味です。





十人十色。人がいればいる分だけ色んな意見もある。
正しいこと、間違っていること。もちろん明確なものもあるけれど、心の在り様は正しく様々。
相手を言い負かそうだとか、支配しようだとか、自分の言動が絶対だと勘違いすることはまるでこの言葉の意味通りですね。

正しく動かしているのは「自分の心」
意見を持つことは重要だけれど、それぞれの立場、見方、考え方を尊重する心も大切。
そんな寛容で、相手を認める見方を忘れずにいたいものです。





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2020.09.04 / Top↑