グッドフェローズ(ロバート・デ・ニーロさんの映画)
ヘンリー・ヒルはアイルランド系の父とシチリア系の母を持ち、物心がついた子供が野球選手や消防士に憧れるように、マフィアの一員になる事を夢見ていた。
彼は11歳でニューヨーク・ブルックリンのタクシー配車センターでマフィアの使い走りとなり、やがて闇煙草の密売や、偽造クレジットカードの使用などを皮切りに、トラックの荷物強奪や違法賭博・ノミ行為・八百長試合の設定といった犯罪に手を広げていく。
彼の一味はポール・ヴァリオを長とし、トラック強奪を得意としたジミー・バークや武装強盗と殺人に秀でたトミー・デシモネが同僚であった。
ジミー・バークを首謀者とした彼ら3人は共謀し、1968年に近傍のクイーンズ区・ジョン・F・ケネディ国際空港でエア・フランス現金強奪事件を成功させ、42万ドルを手に入れる。
一味は1978年に同じくケネディ国際空港でルフトハンザ航空現金強奪事件を起こし、600万ドルと桁違いの成功を収めた。
しかしこれが終わりの始まりとなった。
バークとデシモネは証拠物件の処分に失敗した人物を皮切りに、関わった人物を口封じのために次々と殺害していく。
ヒルはルフトハンザには直接関わった訳ではないが、計画立案段階からの詳細を知る人物であった。また、ヒルはヴァリオの組織ではタブーとされていた麻薬密売に関わった事が発覚し、たった3,000ドルの退職金をもらい受けて「破門」状態となっていた。
ヒルは自身を消そうとするかつての同僚の追及を逃れるため、アメリカ合衆国証人保護プログラムの保護下に入り、検察側の証人となり司法取引を行う。
これによりヴァリオとバークは逮捕。
デシモネは他組織からの報復で殺害されていた。
ヒルは1980年以降、ヘンリー・ヒルという名前で存在することを辞め、全く新しい名前で「カモになる側」の人生を始める事となってしまった。
これら劇中の出来事の後、ヒルは1990年代前半に度重なる犯罪の為保護プログラムから外れる事となった。
2002年以降も主に麻薬取引の罪で幾度も収監された。
2012年6月12日に心臓疾患で死亡した。
私生活では映画よりも紳士だったと言われている。
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